「世界遺産」への登録推進を含む将来構想の実現には、地域住民とのパートナーシップが欠かせない。しかし、過去の確執があり簡単ではなかった。中尾会長は「地域から理解を得る道のりは厳しいものでした」と回顧する。「1951~1953年にかけての『らい予防法』改正反対運動では、地元虫明地域に『らい病は治る、理解してほしい』と一戸ずつチラシを配って歩いたものです。でも、目の前で破られたり、投げつけられたりしました。でもそれは仕方ないことです。怖い病気だと噂が流されたし、彼らから強制的に土地を没収して療養所を建てたのですから。」