世界には発展途上国を中心に失明人口がおよそ3千6百万人存在し、2050年にはおよそ1億2千万人に増加するとされる。歯止めをかけるには眼科診断機器の普及が不可欠だが、高額で大型なことがネックだった。そこに登場したのがスマホアタッチメント型医療機器「Smart Eye Camera(SEC)」だ。本稿では、SECを開発したOUI Inc.(ウイインク)CEOの清水映輔氏と海外戦略部長の中山慎太郎氏を取材した。
開発のきっかけ
OUI Inc.は2016年創立の慶應義塾大学医学部発ベンチャー企業だ。「医療の発展のためにその知見・技術を医療現場に還元し、最高の医療サービスを創造する」ことを理念に、清水氏ら同大学の眼科医3名が立ち上げた。3人は慶應義塾普通部から大学卒業までの12年間を一緒に過ごし、共に眼科医を目指したという。「3人のキャリアは決まりましたが、他に何かできないかと話し合った結果が起業でした。」と清水氏。環境も後押しした。2016年は同大学医学部創設百周年の前年で、医療系ベンチャーの創出を支援し始めていたのだ。
同社を設立したものの最初からビジネスプランがあったわけではない。きっかけは、3人が所属するNPO法人ファイトフォービジョンでの海外医療支援活動だった。「無料白内障手術ボランティアのためにベトナムのタイニン省を訪れた時の体験がヒントになりました。」現地はホーチミンから車で4時間、カンボジアに近い農村で眼科医はいない。そもそも人口約1億人のベトナムに眼科医は千人程度しかいないという。人口比で日本の10分の1以下だ。「そこではコメディカルがペンライトで診察し、電池が切れるとスマホのライトを代用していたのです。」通常、眼科の診察は細隙灯(さいげきとう)顕微鏡を用いる。光束で角膜や水晶体等を照し、これを顕微鏡で拡大して観察する装置だ。日本の眼科では常備しているが、数百万円と高価なため医療発展途上国では普及していない。
「なんとかならないだろうか。」思案の中で浮かんだのがスマホだ。「スマホの光を眼科医が必要とする光に変えることができれば、課題解決につながるのではないか」と。スマホなら動画や静止画を撮影でき、拡大もできる。画像の記録や転送も簡単だ。以前は動画の送信に時間がかかったが、現在は途上国であっても4Gの通信インフラが整備されていることが多く、ほぼ制限にならない。スマホによる簡易な眼科診断が普及すれば、位置情報と結びついたビッグデータとなり、どの地域でどのような目の病気が多くなっているのかといった疫学的なデータも得られる。
スマートフォンアタッチメント型医療機器
「自分たちでできるのではないかというのが純粋な気持ちでした。」たちまちウイインクはベンチャーの本領を発揮。スマートフォンアタッチメント型医療機器の開発に着手し、約1年半でSECを完成させてしまう。細隙灯顕微鏡の代わりとなる機構を3Dプリンターで造形したアタッチメントに搭載し、スマートフォンのカメラ部分に装着して利用する仕組みだ。ライトの光を患者の眼に当て、レンズを通して眼球の状態を診察、撮影できる。撮影・共有といった必要な機能を搭載したアプリケーションも同時に開発した。誰でも簡単に操作できるインターフェイスで、セキュリティにも万全を期した。
2019年6月に医薬品医療機器総合機構に一般医療機器として登録し、同年10月から臨床現場への導入を開始した。粗悪な類似品を防ぐために、諸外国での特許も取得した。「SECは画期的な製品ですが、既存の細隙灯顕微鏡に替わるものではありません」と清水氏。あくまでも既存機器を補完するスクリーニングツールとしての位置づけだ。スクリーニングとは「簡便な検査により、集団の中から特定の病気が疑われる人を選び出すこと」をいう。SECによるより簡便な眼科診断を通じ、これまで眼科を受診してこなかった患者さんからも眼科疾患を炙り出し、眼科受診につなげることにより、疾患の早期発見・治療を目指す。人間ドックや健康診断などでも既に導入実績がある。
エビデンスファースト
現役眼科医が創業した医学部発ベンチャーとして、OUI Inc.が重視しているのがエビデンスだ。「Nature」や「Science」といった査読付き英文雑誌に論文が掲載されることで世界的に確立できる。ところが、研究自体の独自性や、倫理委員会での承認が無ければ査読(研究者仲間や同分野の専門家による評価)すらままならないという。
2020年に査読付き英文雑誌「Diagnostics」にSECによる白内障診断の有用性エビデンスに関する論文が掲載された。日本人の白内障患者64名を対象にSECが細隙灯顕微鏡と同性能であることを実証する臨床研究だ。まず、眼科医が患者を従来の固定式細隙灯顕微鏡で診察し、次に非眼科医がSECで撮影した画像を眼科医が評価した結果、SECで行なった診断は従来の固定式細隙灯顕微鏡と同様に信頼できることが示唆された。
国内外での実証
世界における失明の原因は白内障が一位だ。白内障は適切な時期に治療をすれば失明に至らない可能性が高いにもかかわらず、発展途上国においては白内障による失明が依然として大きな社会問題となっている。その原因は、途上国における眼科医の数の不足と、細隙灯顕微鏡等の高価な眼科医療機器の不足により、多くの患者が眼科医療にアクセスできていないことにある。
OUI Inc.はSECを使ってこの状況を打開する新しい眼科医療モデルの構築を目指し、現地の眼科医・医療機関と協力してアフリカ・東南アジア・南米など世界中でパイロット実証を重ねている。アフリカ大陸南東部に位置するマラウイ共和国がその一つだ。人口約1800万人のうち、眼科医は14人しかおらず、更にその殆どが都市部に集中している。農村部の診療所には医師がおらず、コメディカルが限られた知識・経験・設備・医薬品の中で診断・治療を行っているが、眼科医療へのアクセスが困難な患者が数多くいる状況だ。
「マラウイの農村で出会ったある高齢者は、長く白内障を患い、目が殆ど見えなくなっていました。日常生活の中で、畑にある汲み取り式便所を使うのですが、手探りで穴を探さねばならず落ちてしまうことが多々あったそうです。この患者は幸運にもNGOの支援によって白内障手術を受け、視力を回復することができましたが、同じような状況にある方がまだまだ沢山います。」
SECはあくまでも診断機器であり、治療を行うことはできない。そこでOUI Inc.はSECを単に広めるだけではなく、現地の眼科医と協働して治療までつなげるモデル作りを進めている。先述のマラウイの高齢の白内障患者を治療したのは現地の眼科医で、農村に眼科医療を届ける活動を行うNGOの主催者だ。
2021年からはケニアで、世界銀行グループの国際金融公社が主催するプロジェクトをはじめ、現地の医療機関と共同でSECを活用した医療過疎地への眼科遠隔診療モデルの実証に取組んでいる。コロナ禍のため、現地にSECを届けたのちに、医師や医療従事者を対象にオンライントレーニングを実施。病院や医療機器が存在しない場所での眼科診療や、アイキャンプなどでの使用に役立てている。「約1時間足らずのオンラインセッションで、現地の医療従事者が使用方法をマスターできています。使用方法の簡便さもSECの強みです。」
こうした実績により、同社は、東京都後援の「東京ベンチャー企業選手権大会 2020」で最優秀賞(東京都知事賞)を受賞したのをはじめ、2021年5月に東京都で開催された「Vision Hacker Awards 2021 for SDG 3」(NPO法人ETIC.がビル&メリンダ・ゲイツ財団より協賛を受けて実施。低中所得国でグローバルヘルス分野での取組みを評価)でシード賞を受賞するなど、数多くのグローバルアワードを受賞している。
一方、国内でも伊豆七島等の離島においてドクター to ドクターでの遠隔相談や、医療機関を訪問できない患者への訪問診療でSECの活用が始まっている。これまで、離島の患者は眼科診察を受けるために、本土からの眼科医の訪問を待つか、本土まで自身で訪問しなければならなかったが、SECによって、離島の診療所の医師から本土の眼科医に対する撮影画像のコンサルテーションを行うことが可能となっている。
新たな価値を創造する
現在、OUI Inc. のメンバーは12名。平均年齢30歳前半で眼科医師を中心にプロダクトデザイナーやAIエンジニア、国内外ビジネスの専門家を揃えている。海外事業を担当する中山慎太郎氏はJICAに7年、総合商社に2年、NGOに5年勤務した経験を持つ。途上国との仕事が長く、政府機関や民間企業とのインフラ整備に携わってきた。SECを通じ2025年までに世界の失明を半分にするというビジョンに共感してOUI Inc.に参画した。「当社の活動を通じて、視覚障害・失明がもたらす深刻な問題にもっとリソースが集まり、眼科疾患で苦しむ患者さんと、眼科医療の発展に貢献できると信じています。」
OUI Inc.は目下、SECによって取得した眼科的画像を機械学習にかけ、世界的にも先駆的な、白内障・ドライアイ等の前眼部の眼科疾患の自動診断AIの開発を進めている。先に述べた通り、発展途上国では眼科医の数が少ないため、自動診断による医療効果は計り知れない。理念を着実に実現するベンチャー企業に世界が注目している。
プロフィール
清水 映輔(しみず えいすけ)氏
慶應義塾大学医学部眼科学教室 特任講師
OUI Inc. CEO
2013年慶應義塾大学医学部卒、眼科専門医・医学博士(同大学で取得)。東京歯科大学市川総合病院、慶應義塾大学病院など勤務。眼科医として、ドライアイや眼アレルギーを専門とし、特に自己免疫疾患関連の重症ドライアイに関して多数の臨床研究や基礎研究の実績をもつ。2016年に同級生の眼科医3名とOUI Inc.を起業、ベトナム無料白内障手術ボランティア参加をきっかけに、医療現場の課題となるニーズを発見し、帰国後に、安価で誰でもどこでも眼科診察が可能な「Smart Eye Camera」を発明、学術化の後に医療機器として、実用化に成功した。現在、慶應義塾大学医学部眼科学教室特任講師兼任。2020年 国際失明予防協会 The Eye Health Heroes award・第十四回日本シェーグレン症候群学会奨励賞・2018 ARVO/Alcon Early Career Clinician-Scientist Research Award等受賞。