本稿では、地域包括ケアシステムのモデルとして「柏プロジェクト」を特集する。秋山浩保氏(柏市長)、辻哲夫氏(東京大学高齢社会総合研究機構・未来ビジョン研究センター客員研究員)、千葉光行(健康都市活動支援機構理事長)による鼎談をはじめ、柏プロジェクトの実践に関する研究者の寄稿や行政担当者へのインタビューで構成する。同プロジェクトの仕組みや経過、成果、さらにアフターコロナ社会における柏プロジェクトについてさまざまな視点で紹介し、そうしたまちづくりが全国自治体に普及するための条件や課題等について考察する。
まちづくりの課題
急速な少子高齢化と価値観の多様化が健康まちづくりに大きな影響を及ぼしている。厚生労働省は65歳以上の高齢者数について、2025年には3657万人となり、2042年には3878万人のピークを迎えると予測する。
75歳以上高齢者の全人口に占める割合も増加し、2055年には、25%を超える見込みだ。同時に核家族化が進み、家族の支えを受けられない単身高齢者が増えていく。
高齢化に伴い医療や介護の需要が増える中、大きな課題となるのが、財源と現場で働く人材の不足だ。特に深刻なのが医療費で、入院医療費は医療費総額(2019年度43.6兆円)のおよそ40%をも占めている。病院があらゆる状態の患者を抱え込むと健康保険システムが破綻してしまうのは明らかだ。慢性期の患者に対しては、病院ではなく施設や在宅を中心とする地域でのケアにシフトする必要がある。
一方、高齢者をはじめとする地域住民は多様なライフスタイルを営んでいる。6割の国民が「自宅で最後まで療養したい」(終末医療に関する調査)と回答していることから、可能な限り住み慣れた地域や自宅で日常生活を送ることが人々の望みと言ってもよい。そのためには要介護状態になることを予防し健康寿命を延ばすことが極めて重要であることは言うまでもない。病院ではなく地域内で保健・医療・福祉を完結するまちづくりのシステムは、提供者と利用者の双方にメリットをもたらすのである。
地域包括ケアシステムのモデル
このまちづくりの仕組みが、「地域包括ケアシステム」であり、国は政策の柱として、地域において住まい、医療、介護、予防、生活支援を一体的に提供する体制づくりを2025年を目途に推進している。ちなみに「地域」とは日常生活圏域を指し、おおむね30分以内に5大サービスを提供できるエリアを意味する。基礎自治体が地域の実情を熟知しているため、サービスの担い手は国ではなく市町村だ。したがって全国一律ではなく、地域特性に合わせた体制整備が進められている。
10年以上が経過した現在、全国での取り組み状況はどうか。野村晋氏(厚生労働省大臣官房総務課企画官)は著書「『自分らしく生きて死ぬ』ことがなぜ難しいのか」(光文社新書)の中で「実はほとんど出来上がっていない」と述べる。原因は在宅医療が整わないためだ。今まで医療行政に携わってこなかった市町村にとって医療を伴う「専門的なケア」はハードルが高く、殆どが介護サービスの整備や地域包括支援センターによる介護予防事業に奔走しているのが現状という。続けて野村氏は「実際、厚生労働省のホームページではモデル例として10の地域を掲げているものの、そのうち在宅医療の体制に取り組んでいるのは2地域(千葉県柏市と東京都世田谷区)のみである」と述べ、さらに「行政が医師会とともにシステム構築をしているのは柏市だけ」と断言している。
本稿では、地域包括ケアシステムのモデルとして「柏プロジェクト」を特集する。秋山浩保氏(柏市長)、辻哲夫氏(東京大学高齢社会総合研究機構・未来ビジョン研究センター客員研究員)、千葉光行(健康都市活動支援機構理事長)による鼎談をはじめ、柏プロジェクトの実践に関する研究者の寄稿や行政担当者へのインタビューで構成する。同プロジェクトの仕組みや経過、成果、さらにアフターコロナ社会における柏プロジェクトについてさまざまな視点で紹介し、そうしたまちづくりが全国自治体に普及するための条件や課題等について考察する。
鼎談
地域包括ケアと健康まちづくり ~柏プロジェクトの成果と展望~
辻 哲夫氏 × 秋山 浩保氏 × 千葉 光行
柏プロジェクトのきっかけ
千葉
政府は2014年の「医療介護総合確保推進法」により、地域において住まい、医療、介護、予防、生活支援を一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の全国展開を打ち出しました。目標年度は2025年です。地域の実情を熟知する基礎自治体がサービスの担い手であることが特徴で、全国一律ではなく、地域特性に合わせた体制整備が進められています。柏市はいち早く2010年に柏プロジェクトを発足し、地域包括ケアのまちづくりに着手しました。まずはきっかけについてお聞かせください。
秋山
柏市を含む首都圏の自治体には、経済成長の過程で大移動した団塊の世代が多く住んでおり、地域の発展を支えてきました。地方出身者にとっては第二の故郷です。そうした市民が自分らしく生き、住み慣れた地域で最後を迎えるために行政は何をすべきなのかを熟考した結果が在宅医療と在宅ケアの充実です。いろいろ模索する中で東京大学高齢社会総合研究機構の辻先生からお声がけをいただきました。
辻
東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子先生が20年の歳月をかけて行った日本人の老いの推移に関する調査では、男女ともに75歳前後を境に7割~9割の自立度が徐々に低下することが報告されています。超高齢社会(※1)は、自立度が低下した虚弱な大集団が高齢期を迎える社会となるのです。その最前線が柏市をはじめとする首都圏のベッドタウンです。
私は2009年に秋山先生から当機構に招かれ、柏市を研究フィールドにした「Aging in place」(※2)のモデルづくりを提案されました。「ご自分のやりたいことに取り組んでください」と打診されたので「まずは在宅医療です」とお答えしました。医療が、生活の場に及んでいないためです。人々が豊かな人生を全うするためには、医療が家庭に来なければなりません。ところが、医療は都道府県の管轄であり、市町村は在宅医療に無関心でした。そこで秋山市長や柏市の医師会長に直談判したところ即決いただけたのです。新しいことに取り組むことに違和感を持たない行政と医師会と出会い、各種団体、地域住民とともに柏プロジェクトに取り組めたことは幸運であり感謝しています。
研究フィールドは、高齢化率40%を超えていた豊四季台団地で、柏市と東京大学と団地を開発したUR都市機構が協定を結びました。テーマは「長寿社会のまちづくり」で、「Aging in place」の構築を目指しました。後に同様の考え方の地域包括ケアが国の政策で普及するようになり、柏プロジェクトもこの概念の実現に向け展開することになります。
柏プロジェクトとは
千葉
秋山市長は民間企業のご出身で、経営コンサルティングや在宅医療クリニックの事務長を経験されたと聞いています。培われた先見性や柔軟性で判断されたのだと思います。
12年が経過した現在、柏プロジェクトは在宅医療や介護予防システム等のモデル地域として国内外の注目を集めています。詳細については、2020年に東京大学出版会から出された「地域包括ケアのまちづくり」(東京大学高齢社会総合研究機構編)に掲載されています。柏プロジェクトの本質について、表現いただけますでしょうか?
秋山
在宅医療と在宅ケアを充実させる一方で介護予防に取り組むことです。在宅医療では診察や治療、保健指導等を、在宅ケアでは自立支援や生活指導、リハビリテーション等を提供します。実は医療と介護の前に必要なのが介護予防であり、地域で人々とのつながりを保ちながら豊かな生活を送ることができる仕組みが大切です。柏市ではフレイル予防を実施しています。
辻
まちづくりの視点では「日常生活圏単位のコミュニティをしっかり作ること」だと思います。地域で安心して住み続けるためにはコミュニティが必要です。そのエリアは日常生活圏域とされる小中学校区が基本で、皆が運動会に集まれるような範囲です。柏市ではすでに21の日常生活圏域でそのコミュニティを整備していました。これは市町村でなければできない施策です。そこで在宅医療にまず取り組み、フレイル予防、生活支援といった「地域包括ケアの深化」へ向かったことが柏プロジェクトの本質と考えています。
千葉
柏プロジェクトの仕組みづくりについて、成功の要因や課題を含めてお聞かせください。
秋山
前向きなエネルギーが重なったのが大きな要因です。辻先生をはじめとする先生方の知見と情熱に職員が応えてくれました。市民の健康や命を守るため、柏市医師会にも組織として全面的に協力いただいています。さらに医療や介護の専門家がネットワークを組むことで、地域包括ケアシステムの体制を強固にしています。
辻
在宅医療が「一丁目一番地」なので、まずは市職員、医師、東大の研究者で勉強から始めました。最初からスムーズに運べたのは、柏市と柏市医師会の関係が良好だったためです。職員に「在宅医療とは何で、どのようなシステムが必要なのか」を猛勉強いただいたところ、システムづくりの提案が職員側から始まりました。
千葉
市役所の組織はともすれば固く、新たなチャレンジに消極的になりがちです。柏市は市長のリーダーシップに職員が導かれた面が大きかったに違いありません。ところで在宅医療を推進するにあたり、医師会との関係強化と併せて「多職種連携研修会」や「顔の見える関係会議」を行ったと聞いています。
秋山
在宅医療の推進で特に重要なのが多職種連携です。医療は医師が中心となりますが、患者の生活はケアマネージャーや訪問介護、リハビリといった医療・介護の専門家が連携して支えています。
よく「連携が大事」と言われますが、簡単なことではありません。所属組織がバラバラだからです。重要な情報さえ伝わるのに数日かかることがあります。病院内のようなチームワークを発揮するにはどうすればよいのか。大きな仕掛けが「多職種連携研修会」や「顔の見える関係会議」でした。お互いが顔見知りになることで信頼が深まるためです。「いきなり在宅医療に取り組むのは不安」という医師の声もありました。「皮膚科ではないので、床ずれができたらどうするのか」「高齢者特有の疾病は診たことがない」「深夜に容態が急変したらどうすればよいのか」といった内容です。そうした不安を解消するためにも、研修会や会議は有効です。連携はある日突然できるものではなく積み重ねの結果なのです。
辻
「顔の見える関係会議」の事務局は市で、参加者は医師と多職種の関係者です。年4回、市役所の大会議室に200人程が集まり、グループ会議形式で運営されます。開始時間は仕事の関係上、夜7時になってしまう。医師にとっては、この時間に駆けつけるのさえ大変です。診療後、食事もしないで飛んでくる医師からは、「議論の要点がわからない」「資料の説明が不十分」といった厳しい注文も出ました。職員はそれらを真摯に受け止め、準備や議事進行の方法を身に着けていきました。参加者もファシリテーションの方法を学びながら互いに信頼関係を築いたのです。皆の阿吽の呼吸による秩序がシステムとして継受され、柏プロジェクトの土台となりました。10年が経過し、担当職員は次々と変わりましたが、水準は下がるどころか上がっています。
千葉
会議を粛々と継続したことと、医師会や多職種との実質的な連携が成功要因なのですね。
柏プロジェクトの成果
千葉
続いて柏プロジェクトの成果についてお聞かせください。
秋山
最もわかりやすのが、看取りです。以前、自宅での看取りは多くありませんでした。現在、毎年三千数百人の死者のうち300人弱が自宅で看取られています。中にはぎりぎりまで自宅で過ごした後に病院で亡くなる方もいます。看取りがいいというのではなく、柏市では選択肢を提供できるということです。在宅医療に取り組む医師や患者の数、それをサポートする訪問看護ステーションも増えました。数字では表現できませんが、多職種連携のチームワークの質も極めて高くなっています。
辻
在宅医療が機能しているからそうした数字が増えたのであり、多職種連携が円滑に進んでいる証拠でもあります。もう一つの成果は、職員をはじめとする関係者の意識変容です。ある年、会議後の忘年会で、隣の医師が「『顔の見える関係会議』は昔の医局を思い出させてくれます」と言ったことがありました。柏市全体が病院のような機能を発揮している印象を持ったということです。鋭い観察に感心すると同時に、嬉しさがこみ上げました。私にとって大事なのは、箱物ではなく「人」と「システム」だからです。
私は市長に、「国への貢献だと思って視察を受け入れてください」と依頼しました。視察を受け入れるということは、職員の話を聞いてもらうということです。視察場所は地域医療連携センターが中心になりますが、建物はハードに過ぎません。肝心なことは、「システムをどう構築しどう動かしているのか」というソフトです。そのノウハウを職員が自分事として伝えることに意味があるのです。新型コロナウイルス蔓延前は、毎年二百数十件の視察があったと聞いています。毎年それだけ続くということは、職員の説明に意味があったということです。おかげで柏プロジェクトの意義が全国にじわじわと広がりました。これも大きな成果です。
千葉
柏プロジェクトのような取り組みを全国に広げるには、他にどのような仕組みが必要でしょうか?
秋山
地域包括ケアには大勢がチームで取り組まねばならずバラバラでは絶対にうまくいきません。医療介護連携を行う意義を医師会、行政トップ、職員、医療や介護の専門家が共有することがスタートになると思います。
辻
柏市が医療と介護の連携を始めた時、裏付けになる法律が未整備でした。誰の仕事なのか不明確だったのです。それを「地域医療推進課」を設置することにより行政の仕事にしたのが柏市です。全国には柏市は特別だとする声があります。「いろいろなお金を使っている」「東大のキャンパスがある」というのです。確かにスタート時点では東大が応援して一緒に取り組みましたが、その後は市長と職員の努力によるものです。特に在宅医療を念頭に多職種連携を進める「課」という組織を作ったことが大きい。「任務」として推進する体制が整ったからです。私は、これこそが地方自治だと思います。
重要施策の推進には然るべき人材を投入しなければなりません。そのための組織と人事は市長の政治判断が左右します。今でこそ在宅医療・介護連携推進が市町村の事業として制度化されましたが、そのモデルは柏市です。柏市はお金をかけたのではなく、人をかけたと言えるでしょう。これこそが地方自治のミッションであり、その気になればどこの自治体でもできるはずです。
地域包括ケアシステムにおけるフレイル予防
千葉
東京大学高齢社会総合研究機構は、地域包括ケアシステムの柱である高齢者のフレイル予防を全国展開されています。フレイル予防とは何でしょうか?現状についてもご説明ください。
辻
健康な状態から徐々に弱り、要介護の状態になるまでの間がフレイルです。「虚弱」と訳しますが、2014年に日本老年医学会が定義しました。要介護になってしまうと、健康に戻ることは基本的には難しい。一方、要介護の手前のフレイルからであれば健康になることは可能です。
フレイルのメカニズムを更に研究したのが東京大学の飯島勝矢先生です。2012年から柏市に在住する二千人の高齢者を対象に継続している追跡調査研究で、「柏スタディ」と呼ばれています。一人あたり270項目にも及ぶ内容で、フレイルがどのように進行しているのかを調査研究した結果、フレイル予防には「栄養」や「運動」と同時に、「社会参加」が大切であることが明らかになりました。栄養状態の悪化や運動不足の手前で、人と人の関わりや生活の広がりである「社会性」が落ちていることがわかったためです。
フレイル予防のために開発されたのが「フレイルチェック」という地域活動です。地域の高齢者を対象に、「フレイルサポーター」と呼ばれるボランティアが「指輪っかテスト」や「イレブンチェック」で気づきを与え、行動変容を促す仕組みです。飯島先生は柏市発のフレイル予防とフレイルチェックを日本中に広めており、2021年3月現在、全国73市区町村の自治体で導入されています。
千葉
私自身高齢者ですが、「若いころと比べて意欲が低下している」「物事が億劫になる」「出不精になる」「頑固になる」といった傾向が表れています。これらと社会参加は相反すると思いますが、どのように乗り換えればよいのでしょうか?
辻
大切なのはそうなりにくい環境を整備することであり、まずは居場所づくりです。高齢者が出かけて人と会う場所や機会をたくさんつくることで、国の政策とも合致します。居場所にはちょっと世話を焼く人がいて、集う人には何らかの役割を持ってもらうことがポイントです。柏市でも取り組んでおり、フレイルチェックはその代表です。アンケートでは、フレイルチェックを受けた6割以上の人がまた受けたいと言ってます。また2割程度の人がフレイルサポーターになることを希望している。こうした市民の動きを広げることが介護予防につながるのです。
千葉
高齢者による高齢者のサポーターがどんどん増えれば健康づくりのサイクルが広がりますね。
秋山
高齢で活動量が減ることで筋肉が衰え、躓くと要介護になる危険性が生じる。皆さん、頭ではわかっているのですが、実際に予防活動を継続するのは困難です。そうした流れに抗うような意識づけとちょっとした環境をたくさん整備するため、「フレイル予防プロジェクト2025」に取り組んでいます。ただし予算には限りがあるため、行政はきっかけづくりを行い、運営は地域の皆さんに担っていただく仕組みです。チャレンジングですが、皆さんの理解とご協力を呼び掛けています。
コロナ禍における取り組み
千葉
コロナ禍における自粛生活の長期化が特に高齢者の生活不活発を招き、社会参加の低下をもたらしています。アフターコロナ社会はさまざまな生活面での変化が予測されますが、フレイル予防で特に重要な「社会活動への参加」は人間社会の基本的なあり方でもあり、それが損なわれることはあってはなりません。市はどのような対策をされているのでしょうか?
秋山
外出を自粛してから1年4か月が過ぎており、特に高齢者は感染症対策で動かなくなっています。認知症以外でも、いろいろな症状が進んでいるとの報告を受けています。コロナ収束後はどのような状態になっているのか、大変危惧しています。
辻
東京大学の調査では、腹筋や背筋といった体幹筋力の低下や食の手抜きが進んでいる等のデータが出始めています。対策として飯島先生が展開しているのが「つながろう運動」です。フレイルサポーターはフレイルチェックだけでなく、フレイルの輪を広げるマンパワーでもある。そこで全国約600人のフレイルサポーターと市町村職員がオンラインで意見交換を行い、「食事や運動ではこんなことは気を付けましょう」といったオンラインでの呼びかけを始めています。実際に集えなくても、つながることが大事だということです。コロナ禍において、改めてつながることの大切さがフレイルサポーターの間に広がっているのです。感染症対策に万全を期しながらのフレイルチェックの再開も限定的に始まっています。そこからクラスターは発生していません。
秋山
団塊の世代には、地域とのつながりが希薄な方々が大勢います。行政としても、そうした方々のつながりを広げる施策でフレイルを予防するとともに、在宅医療や在宅ケアで地域包括ケアのまちづくりを目指します。
辻
これからは市町村行政の時代です。立派な施設や交通機関の整備も重要ですが、住民が「このまちに最後まで住みたい」というまちをどう作るのかが問われます。主役の住民を支援するのは市町村です。自治体の施策や実行力が住民の幸せを左右すると思っています。
千葉
柏市が実践する地域包括ケアのまちづくりは、社会参画や住民主体の健康づくりといった面で健康都市と重なります。健康都市連合の中心メンバーとしても、秋山市長と柏市には引き続き先進的な施策で社会の問題解決に取り組んでいただければと思います。
本日はありがとうございました。
柏プロジェクトの実践
寄稿 神谷 哲朗氏(東京大学高齢社会総合研究機構)
東京大学高齢社会総合研究機構は、2009年に総長室総括委員会の下に設置された。医療・福祉領域にとどまらず、経済・産業・文化の広い領域での複雑な課題を解決するために、医学、看護学、理学、工学、法学、経済学、社会学、心理学、倫理学、教育学などを包括する新しい研究体系を築くことを目指している。総合知としてのジェロントロジーを推進すると共に、エビデンスベースの政策・施策提言(Evidence based policy making: EBPM)を行っていくことも活動の一環としている。
同大学のキャンパスがある千葉県柏市と連携し、今後の日本の超高齢化に着目した取り組みとして、在宅医療を基本に置いた在宅ケアから始まり、近年は高齢者のフレイル予防、生活支援などにも研究体制は拡充され、これと呼応して、民間事業者の参画を促す目的で産学官連携のプロジェクトも発足した。これまでの研究成果は、高齢者の在宅医療を含む多職種連携を始めとして全国の自治体の政策に反映され、これらの活動の主軸となる柏プロジェクトは世界からも注目されてきている。
超高齢人口減少社会の到来
人は加齢が進むにつれ心身機能の低下をきたし、日常生活の活動量や自立度の低下を経て、やがて要介護の状態なります。認知症の発症は80歳ころから徐々に増加し、85歳で4割、90歳代で6割、95歳で8割に達します。認知症も含めてこの加齢に伴う心身機能の顕著な低下を虚弱「フレイル」と呼んでおり、サルコペニアといわれる筋肉減少症や要介護の主たる要因となっています。
特に85歳を超えた高齢者をみると、一人暮らしの世帯が最も多く、次に多いのが夫婦だけの世帯です。子との同居は少数派に過ぎません。急速な少子高齢化が全国で進む中、日本にとって最大の課題は、大都市の郊外団地に85歳以上の高齢者が大きな割合を占める社会になることです。既に昭和40年代の高度成長時代に整備された多くの都市部郊外団地では空き家が急増し、さながら限界集落の様相を呈しています。
一方の住宅地では、70歳を過ぎた団塊の世代が大きな人口集団を占めています。日常生活において老いの兆候は感じているものの比較的元気なので、その大半は将来的な虚弱化対策の必要性に気が付いていません。しかし多くの場合、加齢による心身の虚弱化や認知症の症状を免れることはできません。既に独居或いは老々世帯が多い地域では、防犯やゴミ出しの管理等を担ってきた自治会や町内会などの地域運営に支障をきたしているところが加速化しており、空き家や空地の増加による居住地域のイメージダウンはさらに悪循環を加速させて地域を衰退させるでしょう。
国は地域包括ケアの政策により、年をとっても自立を維持でき、弱ってもできる限り住み慣れた住まいに最期まで住み続けられる社会を目指しています。2025年を間近に控え、社会の常識やシステムの変容が迫られているといっても過言ではありません。政策の主流であった要支援段階での介護予防政策の重点を、より早期の可逆性の高い段階での対応であるフレイル予防に移していくことが大きな課題です。住民の総意で健康都市を築いていくことが我々の最大責務ではないでしょうか。重要な視点は、どの地域にあっても、日常生活圏内で生活を続けるための支援サービスがあり、24時間対応の在宅医療と在宅看護・介護サービスが総合的に確保され、虚弱を防ぐことに役立つ活発なコミュニティ活動が存在することです。柏プロジェクトは、そうした新たな地域包括ケアの概念を構築するためにスタートしました。
柏プロジェクトの全体像
生活習慣病対策は国の政策として推進中ですが、介護予防の政策体系はまだ構築途上にあります。そうした中、東京大学高齢社会総合研究機構の飯島勝矢教授は、「柏スタディー」と呼ばれる大規模コホート(※1)研究により、特にサルコペニア(加齢性筋肉減弱症)を中心に、新しい知見を数多く見出してきました。これまでの約10年間の追跡研究から、高齢期におけるフレイルの要因は、「栄養(食・口腔機能)」、「身体活動(運動など)」、「社会参加(就労、余暇活動、ボランティアなど)」の3つに集約することができるとし、フレイルの早期の兆候を示す3つの要素に着目した三位一体型の予防プログラムである「フレイルチェック」を完成させました。以下、概要を紹介します。
⑴介護予防システムの再構築「スタディー」
2012年から千葉県柏市をフィールドとする大規模高齢者フレイル予防研究「柏スタディー」として「高齢者の食力」を考え直す「栄養とからだの健康増進調査事業」を開始し、現在も縦断追跡調査を継続しています。平均年齢75歳の健常な柏市民約2千名の方を対象に約270項目にもわたる検査項目を実施し、各個人について経年的に追跡することにより、新規に介護認定を受けるまでのプロセスを明らかにする追跡調査研究です。
調査では約80名の市民ボランティアの協力を得て、柏市各地に設置された近隣センター(集いの場)や体育館等の20会場で、1人あたり約2時間の時間をかけて健康調査を行いました。柏スタディーには内科・認知症・整形・栄養・歯科界からの専門の研究者が参加しています。2021年は第6次の調査に入っています。
本研究はサルコペニアを視点に、「些細な老いの兆候」を多角的側面から評価する形で推し進め、最終的にフレイル予防の観点から「市民により早期の気づきを与え、自分事化させ、どのように意識変容~行動変容させ得るのか」という着眼点を持って出発しました。
そこでは心身状態(些細な老いの兆候)への精緻な学術的評価アプローチと併行して、将来的に国民自身が意識変容、そして行動変容へと移り変わりやすくするための簡便なスクリーニング指標を確立することも必須な事項として取り組まれています。
本研究において対象者を3群(健常群、サルコペニア(四肢の筋肉量減少症)予備群、サルコペニア群)に分け、数多くの評価項目を比較してみたところ、高齢者は、単に身体活動機能低下だけではなく、歯科口腔機能、食品多様性をはじめとする食の偏り、生活に広がりや人との付き合いなどを代表とする「社会性の低下」の影響が強く関連していることが明らかとなりました。そして日常的に運動、栄養、社会参加の3つを実践していない方は、それらを全てやっている方に比べて3.5倍もサルコぺニアになる危険率があることが分かりました。【図1】
また、本研究では「指輪っかテスト」というユニークかつ簡便にサルコペニアを予防する為の評価を考案しました。人差し指と親指を結び、ふくらはぎのいちばん太い部分を囲んで「囲めない」、「ちょうど囲める」、「隙間ができる」という、3グループに分ける調査です。
この3群を詳しく比較してみると、「隙間ができる」群にはサルコペニアの危険率が6.8倍も多く含まれ、2年間のサルコペニア新規発症リスクも3.6倍も多いことがわかってきました。【図2】
また、「隙間ができる」群にはバイオインピーダンス法(※2)による骨格筋量の測定で有意な低下が認められ、筋力の衰えだけではなく、食事摂取量の低下や口腔機能の衰え、生活の質の低下や共食の少なさ等も同時に認められました。更にサルコペニア有病率、うつ傾向・転倒歴なども強く認められてくることがわかりました。
自立されている高齢者を対象としたコホートでの約4年間の追跡調査においても、「隙間ができる」群には他の群と比較して総死亡リスクが約3.3倍もあることが認められています。指輪っかテストの特徴は、高齢者が自らのフレイル度をみる上で、日常的に簡単に行うことができることです。足腰の衰えに対して気付きを与え、行動変容に向けての動機付けをする期待もできます。
⑵三位一体型の予防プログラム「フレイルチェック」
「柏スタディー」で得られた様々な知見を基に「指輪っかテスト」での知見等を活かし、住民同士でお互いにフレイル度を簡単にチェックできる簡易評価法(フレイルチェック)を考案しました。これは介護予防の早期予防ポイントを住民に意識させる地域活動のモデルになっています【図3】。
「フレイルチェック」は、元気高齢者がフレイル予防サポーター(通称フレイルサポーター)になり、住民主体で楽しい場をつくると同時に意識変容・行動変容を促す地域活動です。3つの要素に着目したさまざまなフレイル予防に関わる内容について、あらかじめ用意されている22項目の評価方法の下でフレイルサポーターが協力をしてチェック(測定)を行います【図4】。
①「フレイルチェック」のねらい
フレイル予防のキャッチフレーズは、フレイルチェックを通して「しっかり噛んで、しっかり食べ、しっかり歩き、そしてしっかり社会性を高く保つ!」です。さまざまな地域においてフレイル予防を従来の介護予防事業と融合いただき、新たな地域活動として引き継いでいただくことが狙いです。生活習慣病における血液検査等の結果に比べて、フレイルチェックの結果はその場で明らかになります。心身の状態への気づきとサポーターの励ましにより、改善に取り組む意欲を高めることができるのです。
②高齢期において社会性を維持する意義
柏スタディーにより「フレイルは、社会性(人とのつながり、生活の広がり)の低下が、その端緒であることが多い」というエビデンスが明らかになったことはとても重要です。フレイルチェックの項目には社会性に関する事項が含まれており、質問を通して「高齢者同士が地域の中で社会性のある生活を続けることが、健康長寿の為に重要」という認識を促す設計になっています。高齢者が社会性を失うことでドミノ倒しの様にフレイルが進行してしまうことを防ぐことを理解し、高齢者同士が支え合うまちをつくっていく、即ち、フレイル予防は地域高齢者による新たな「地域づくり」、「まちづくり」であるということを皆で話し合う場ともなります。
フレイルチェックは参加者が自らのフレイルの状態に気づき、早期の状態においてよりよい生活改善を目指す「一次予防」にあたります。「栄養(食、口腔機能)」、「運動」、「社会参加」の要素を学び、三位一体型で取り組むプログラムです。フレイルは早期の状態(即ち、フレイルチェックで赤シールの割合が少ない段階)であれば、地域のさまざまな健康づくりの資源を活用することで本人の行動変容を促し、赤シールを1枚でも減らして健康な状態に戻すことができます。【図5】
赤シールの割合が増加してきた段階(個人のフレイルが進行してきた段階)になると、日常生活の中で老い衰えた状態が認識され始めます。徐々に不可逆的な虚弱状態に陥る危険性が高くなり、介護認定が必要な領域に近づいてきていることを示しますが、それを早期に発見することが重要なのです。
フレイルチェックは、地域元気シニアが中心となり、「栄養・口腔/運動/社会参加の三位一体」を軸として、集いの場を気づきの場にしていく仕組みです。これまでの調査では、フレイルチェック参加者の89%が「また参加したい」と回答し、フレイルサポーターの94%が「やりがいを感じる」と回答しています。
③オーラルフレイル予防
柏スタディーは、フレイル予防には、食(タンパク質と野菜)と併せて口腔機能の維持が大切というエビデンスを明らかにしています。口腔機能の虚弱化は「オーラルフレイル」と定義されており、この分野への理解を深めることが注目されています。【図6】
フレイルを加速させるサルコペニアは、四肢の筋肉だけではなく、噛む力や飲み込む力にも影響を与えます。口腔内の筋肉量や筋力が低下してくると、食事中に「食べこぼし」をしたり、お茶や汁物でむせたり、硬いものが食べづらくなったり、滑舌が悪くなるなどさまざまなトラブルが現れ始めます。
やや固くて食べにくいものを避けて軟らかいものを好んで食べていると、噛むために必要な筋肉が衰えて咀嚼機能がさらに低下するという悪循環に陥ります。ささいな口のトラブルは、フレイルの前段階であるプレ・フレイル期に現れます。何もしなければ口腔機能の低下が進み、摂食嚥下障害や咀嚼障害といった食べる機能に障害をもたらすこともあります。食事が偏り、栄養バランスが乱れて低栄養状態から要介護状態に陥るリスクも高まります。健やかで自立した暮らしを長く保つには、ささいな口のトラブルを見逃さず、早期の段階で気付くことが大切で、かかりつけの歯科医とも相談しながら口腔機能の回復と維持に努めることが必要です。
④フレイルチェックの全市普及にむけて(柏フレイル予防プロジェクト2025)
柏市は市域全体において、「柏フレイル予防プロジェクト2025」により介護予防を展開しています。フレイルチェックは、地域住民の健康の学びの場でもあります。これを受けた市民がフレイル予防の大切さに気付き、その認識が地域に広がることが期待されます。さらに、市町村が行っている食生活支援や体操教室等のさまざまな一般介護予防事業に相乗効果をもたらすことも期待されます。
フレイル予防には「社会性の維持が大切」なため、柏市は各行政分野のコミュニティ関係事業にも連動させ、市政全体を通ずるフレイル予防のまちづくり事業を展開しています。定期的なフレイルチェックの測定結果をデータ化することで個々人の心身の状況や予防効果を経時的に確認することができ、そのデータを自治体の介護予防政策の立案に反映させることも可能となってきています。
2021年3月現在、柏市で開発されたフレイルチェックの取り組みを全国73市区町村の自治体が導入しており、更に全国に普及することが期待されております。【図7】
「フレイルチェック」を土台に、「個人の意識変容・行動変容」と「それを強力に促すための良好な社会環境の実現〈健康のための支援(保健・医療・福祉等サービス)へのアクセスの改善と地域の絆に依拠した健康づくりの場の構築など〉」の両面へ早期予防政策を展開することが重要です。
改めてまちづくりという視点で従来の健康増進事業や介護予防事業をみつめ直し、新しい風を入れるべき時がきているのではないでしょうか。
フレイルが重度化した段階においての対応
⑴フレイルハイリスク者と新規の要介護認定リスク
全国で展開されているフレイルチェック活動において、一定のエビデンスが出てきています。図8は柏市で実施しているフレイルチェック初回参加者約1500名を対象に、新規要介護認定者及び死亡者との関係を示した結果です。フレイルチェックの合計赤シール数が多い人ほど、要支援・要介護の新規認定や亡くなるハザード率が高いことが分かってきました。具体的に、青シール数17枚以上を低度リスク群と設定してみると、青シール数が14~16枚の中度リスク群の方は要支援・要介護認定・死亡に対する危険率が1.5倍と高く、さらに青シール数が13枚以下になる高度リスク群では要支援・要介護・死亡率が急激に上昇し、要支援・要介護認定・死亡に対する危険率が3.4倍と高値になっています。しかし、一方でこの高度リスク群の段階においても、青シール数が1つ増えると要支援・要介護認定が16%も減少することが判明しました。
フレイルチェックに継続して参加している高齢者を追跡した結果、青シールが多かった参加者はその後も青シール数を維持し、少なかった参加者も増加傾向にあり、リピーター市民の72%がフレイルにならないように気を付けるようになった等の意識変容を促すといった科学的根拠をもった形で一定の成果を挙げてきました。しかし赤シールが多くフレイル状態にある高齢者に対する専門職によるアウトリーチ支援は限られており、地域により対応も異なっています。
今後、高齢化の加速でフレイル兆候の多い参加住民(身体的フレイルだけではなく、心理的・社会的フレイルの重複)が増える可能性もあることから、このフレイルチェックという市民主体の簡易評価により判明したハイリスクグループを地域の医療・介護サービス等に繋げる体制の構築が求められています。重要なポイントは、この「フレイルハイリスク領域」においては、本人の努力のみでの改善は厳しく、「周囲からの適切な介入により健常な状態に戻す」ことで可逆性を目指さなければならないことです。
市町村の総合事業の実施に伴い、要介護・要支援認定申請に基本チェックリストを活用する仕組みが設けられています。これは二次予防事業対象者の把握や、必要なサービスを利用しやすくするために本人の状況を確認するツールとして有用です。しかし、基本チェックリストの評価項目のみで一般介護予防事業での改善効果を継続的に把握することは困難でした。22項目からなるフレイルチェックは、「イレブンチェック」と「深堀チェック」の二本立てで構成されており、前者は本人自身の主観的健康観を、後者は主に身体機能、能力を測定する客観的データを扱うものです。柏市での知見では、新規要介護認定者でなくとも、赤シールが8枚以上、或は8枚に達していない段階においても、「椅子からの片足立ち上がり」「滑舌」「握力」の3つの項目で赤シールがあった場合をフレイルハイリスク者として特定し、より早期に発見し適切に介入することの重要性を示唆しています。
赤シールが少ない、フレイル低~中リスク領域においては、早期予防すなわちポピュレーションアプローチ領域として、民間事業者や地域サロン等の集いの場での健康づくりに向けたグループワークや啓発活動が活発に進んでいますが、一方のハイリスク領域においては、行政或は民間専門職による個別介入を介して生活機能の維持・向上を図りつつ、健康な状態の期間を延伸させていく、新しい自治体事業モデル(フレイル予防を含めた介護予防政策体系、~可逆性の高い段階からの戦略的な展開~)の政策体系として構築されていることをご理解下さい。
(2)フレイル段階に応じた具体的な政策体系へ
高齢者の保健事業と介護予防が一体的に実施されつつありますが、介護予防に関してはフレイル予防を基軸としてフレイル段階に応じた具体的な政策として
①低リスク層に対するセルフマネジメントの強化
②中リスク層に対する意識変容・行動変容に向けた既存事業への誘導
③高リスク層に対するフレイルの実質的改善に向けた積極的包括的介入
が地域に根付くことが、今後の政策課題であると考えています。
フレイルサポーター或は専門職がフレイルチェックの結果を活用することで、参加者の気付きとフレイルハイリスク者への適正介入への誘導が可能となってきており、この仕組みを活用して新しい介護予防政策に転換されていくことが期待されています。さらに総合事業による生活支援の取り組みや、医療と介護を一体的に捉えた連携事業にも貢献していくことも期待されます。
新しい生活様式に基づく地域支援ICTプラットフォーム
現在、さまざまな省庁が先導し、AI技術等を駆使して高齢者対応の運転技術支援といったモビリティ事業やロボットテクノロジーを開発しています。しかし、こうした先端技術の導入以前に、地域社会自体が高齢者のフレイルの実態を正しく認識し、地域住民が自助や互助についての体制づくり(まちづくり)に向けて取り組むことが重要であるという認識を持たなければ、先進技術は地域社会ではうまく活用されないのではないでしょうか。情報利活用システムも同じです。地域が安心して生涯住み続けるための装備として情報システムをうまく機能させるためには、地域に住む人々がフレイルの概念を正しく理解し、地域住民主体で取組むコミュニティの基礎を作ることが大変重要と考えております。
(1)フレイルの進行とICT利活用の課題
フレイルの進行は例えば高齢者の運転免許証の返納直後からくる買物困難、通院困難等の問題などそれまで普通にやっていた日常生活の維持が保てなくなることから端を発し、その後急速に自宅内生活環境を悪化させ健康状態維持に悪影響をもたらすプロセスを辿ります。地域包括ケアシステムで進めている在宅医療や介護サービスの強化に加えて、フレイル期においての日常生活の維持を支援するための通院介助、調理、買い物、掃除、ゴミ出しなどの生活支援体制確保が大変重要な課題になってきます。
総務省のデータによると、80歳を超えるとインターネットへのアクセスが急速に下がり、それまで使用していたスマートフォンなどのICT機器からも遠ざかることが示されています。特に加齢とともにパソコンやスマートフォン等の基本操作を忘れてしまい、突然使えなくなることが懸念されています。団塊世代のソーシャルメディアの利用率は高いのでICTの利活用を維持できるのではないかという考えもありますが、85歳を過ぎた辺りから普通に日常生活ができにくくなる層が大集団となる社会へ移行した時のことを考えておく必要があります。【図9】
まず地域に高齢者の生活を支える人のネットワーク体制を設け、それを利用しながら個人の心身の機能が低下しても地域が支えながら情報端末やICT機器等を活用できる仕組み、即ち社会技術と情報技術の開発を組み合わせることが望ましい姿といえます。
早期予防(一次予防分野)としてのフレイル予防は民間企業の役割も重要
フレイルは「病気」ではありませんので、特別な予防ということではありません。一次予防として日常生活の延長線上で展開されることが重要で、民間企業が創意工夫を凝らして事業参入ができる分野でもあります。
フレイルチェックにおける測定項目は病気を発見するための判定基準ではなく、フレイルに関し早期の状態において本人に気付きを与え、よりよい生活改善を目指す「一次予防」の方法としての測定項目です。フレイルチェックが自治体の手法と同じ形で行われるのであれば、民間の店舗や商店街などにおいても行うことができるようになります。フレイルチェックを行政と連携して民間企業が行うとともに、本人の将来的な要介護のリスクを改善するために提供されるフレイル予防に資するさまざまな商品やサービスを提供すれば、地域住民のフレイルの進行を抑制するとともに、地域経済の活性化にも寄与し、政府が取り組む健康産業の振興にも貢献できます。「虚弱にはなりたくない」という国民の願望を普通の日常生活の中でビジネスチャンスに転換するという考え方です。自治体にとっても、住民の虚弱化予防は介護保険の負担減に寄与することに繋がり、民間企業の活動とはWIN-WIN関係で連携が可能です。言い換えれば官民連合のフレイル予防政策・対策については地域の虚弱化を予防する新しいまちづくりの原動力となるのです。
(2)社会技術の開発としての柏市豊四季台地域での支え合い会議
高齢化が著しい豊四季台地域では、商店やスーパーなどへ行くことも難しくなってきた住民の増加が課題になっています。地域には認知症やさまざまな疾病の患者、ケアサービスの受給者が混在しており、個人差が大きいことも課題を複雑にしています。柏プロジェクトの研究フィールドである豊四季台団地の住民は、先ずはICTシステム活用以前の課題としてのフレイル予防と生活支援についての地域課題を徹底的に議論してきました。その結果、地域における生活支援体制整備事業を土台として、地域の困りごとを一元的に受け止めるコンシュルジュ機能を持った相談窓口「さんあいネットワーク」が導入されました。そこでは、高齢者のフレイル予防として、居場所づくり(子ども食堂・大人食堂・カフェ等も含む)を行い、地域高齢者の社会性を維持する仕組みをつくることも目指しています。地域の独居・老々世帯で、フレイル予防と居場所づくりを相互に好循環させることが目的です。
こうした環境が整備された中でICTシステムを導入すれば、高齢者への対応と地域活動を効率かつ活発化できるのではないでしょうか。
(3)豊四季台地域でICTシステムの展開構想
ICT機器のカメラを使った顔の見える通話機能は、馴染みの関係者同士で会える会話環境を作り出します。こうした機能を使えば、地域コンシュルジュと高齢者との間で会話ができ、ICTリテラシーが低下した層に対しても糸口を開くことが可能です。高齢者個人への生活支援サービスだけでなく、本人が望めば健康状態の相談や契約先の介護・看護のサービスと繋ぐことも緊急見守りサービスとの接続や別居の家族と繋ぐことも可能となります。また、その過程で、潜在的なICTリテラシーを呼び起こすことができるケースも期待できます。生活支援にかかわる公的窓口や民間窓口が地域コンシュルジュによる相談システムと繋がることで、通信費やインフラ設置の負担減も見込め、超高齢社会の基本インフラとして地域型ICTネットワークが全国各地に広がることも期待されます。豊四季台地域では「地域支え合い会議メンバー」である「普及啓発・ネットワークWG」が中心になり「さんあいネットワーク」導入の議論を積み重ねてきました。これまでの地域での困りごとへの対応には、町会、自治会、民生委員、NPO団体、ボランティア団体、行政が独立して対応してきましたが、地域課題の総リスト化、地域活動で解決できることのリスト化、民間事業者で解決できることのリスト化をすることで、課題への対応強化を目指しています。【図10】
都市部での生活支援体制整備事業では、公的な相談だけでなく民間部門による対応への転換も求められています。豊四季地域に設置した地域コンシュルジュ相談では、さまざまな困りごと相談を市民ボランティアが引き受け、それをNPO或は地域の民間事業者に繋ぐことで、一元的対応を可能としています。各世帯でのICTリテラシーの低下に関しては、コンシュルジュが民間通信事業者と協働してICTリテラシー強化の対応をする仕組みが考えられます。通信料金等は受益者が応分を負担する仕組みですが、公私のさまざまな主体が関わることにより公共インフラ的に設置すればそれ程の負担額にはならない筈です。
通信システムの確立により、「地域コンシェルジュ相談」の次のステップとして、上記ネットワークと在宅医療や介護のネットワークと繋ぐことも可能となり、共通のICTシステムを介し、「地域コンシェルジュ」が医療・介護関係事業者と連携して住宅にあるICT機器の利活用をサポートすることで、訪問介護・看護サービス、別居の家族などに24時間いつでも繋げることが可能となるのです。この地域型ICTネットワークシステムの導入により、利用者の在宅生活における必要な支援・サービスの幅が大きく広がり、その利便性の向上とともに、日常生活圏域の住み心地、ひいては圏域の価値が高まっていくことも期待できます。
在宅医療では、健康から要支援、要介護に至る高齢者から多量のデータを獲得でき、利用者のおかれた生活の中で、さまざまな生活活動と健康との関係性や在宅生活における医療、看護介護、生活支援との関係や影響度を24時間型システムで可視化し、より適切にサービスが活用されるようになります。将来的には「柏市24時間在宅医療情報連携基盤システム」と繋ぎ、AIを活用したセンサー機能や在宅におけるコミュニケーションロボット等の活用とも組み合わせつつ、更に包括的なシステムへの拡大を目指す「地域包括ケア情報共有システム」ともいうべきものへと発展させ、いわば「超高齢社会仕様のスマートシティ」ともいうべき大きな地域情報インフラを形成する流れを展望しています。【図11】
重要なことは、地域の住民が主体となり、丁寧な手順を経て、まずは地域の生活支援体制の基盤を構築することです。高度な個人情報管理システムが要求される中、多様化した高齢者のライフスタイルに対応ができるICTの利活用を本格的に推進するには、地域社会が違和感なく受け入れられるよう、住民や民間事業者、介護サービス、或は医療関係者による合意形成を得ながら進めることがポイントとなります。これにより、「住まい」「医療」「介護」「予防」「生活支援」の5つのサービスが情報システムを介して相互に繋がり機能するようになり、地域の一体運営体制を可能にする基本プラットフォームを築くことができるのです。このICTを利活用した豊四季台地域での日常生活圏のネットワーク化構想は、現在、国が推進する生活支援体制整備事業を基盤においており、全国の自治体でも応用ができるように設計されています。
おわりに
健康寿命の延伸が叫ばれている中、2025年には団塊世代が後期高齢者になります。団塊世代についての対応を誤ると、首都圏を中心にフレイル高齢者の爆発的増加を生み出し、地域包括ケアの概念を根本的に揺らがせることになります。介護等各分野の専門職および行政、国民すべてがこのフレイル対策の趣旨をしっかりと理解した上で、従来の予防施策にフレイル予防の新しい風を吹き込むという、まさにパラダイム転換が強く求められているのです。日本各地で始まったフレイル予防を基軸とした新しい介護予防政策は、地域の豊かな人間関係と市民活動の好循環(ソーシャルキャピタル)構築の源泉になり、結果として介護給付の適正化、持続可能な介護保険制度の構築に資するものと確信します。
事務局の役割と機能
インタビュー 梅澤 貴義氏(保健福祉部地域医療推進課長)
柏プロジェクトでは事務局としての行政が重要な役割を果たしている。発足当時から現在に至るまでの主な変遷とプロジェクトを成功に導くポイントについて、柏市保健福祉部地域医療推進課長の梅澤貴義氏にインタビューした。
まずは事務局の経緯をお聞かせください。
柏市では、「柏市豊四季台地域高齢社会総合研究会」の事業を推進するため、2010年に福祉政策室を設置し4名の職員でスタートしました。事業推進のパートナーとなる東京大学には、東京大学高齢社会総合研究機構が発足し「地域包括ケアシステム」の考え方が確立する中、当市の地域健康福祉計画や介護保険事業計画を策定する際に協力いただいた経緯があります。さらに柏市にキャンパスができたこともあり、当市を研究フィールドにして高齢社会に対応したまちづくりに向けた協働ができないかとお声掛けをいただきました。またUR都市機構は、2004年から豊四季台団地の建替え事業を開始しており、団地の高齢化が進んでいたことから、建替えを期に新たなまちづくりを検討していました。柏市でも将来人口推計で高齢者数が増加する事がわかっていた事から、高齢者施策の検討は喫緊の課題でした。上記の様に三者三様の課題を産学官で解決するため、2010年5月に東京大学、UR都市機構、当市の三者が協定を結び「柏市豊四季台地域高齢社会総合研究会」を発足し「長寿社会のまちづくり」に着手しました。
私は2011年8月に同室に参加しました。当時、室長として厚生労働省から出向していたのが野村晋氏です。(本誌P.7参照)野村氏は、地域包括ケアシステムの考え方をどのように具現化するのか模索していました。それを具現化するのが柏プロジェクトだったのです。室長の野村氏は31歳の若さでしたが、39歳の私にとって頼もしい上司でした。地域包括ケアシステムを動かすには庁内関係部署との調整が不可欠ですが、職員が所属長として短期間で動かそうとしても、何らかの軋轢が生まれてしまうのです。そうなると職員は強く主張できません。いつ自分が逆の立場になるかわからないからです。目的意識が強い野村氏にそうした遠慮は皆無で、多少の軋轢を吹き飛ばして突き進んでくれたのです。国の情報をいち早く掴んでいただいたのも有難かったです。野村氏のおかげで市行政が在宅医療を推進するマインドの基礎ができたと思っています。
2014年「柏地域医療連携センター」が完成し、福祉政策課の職員は10名となり、その内4名は本庁舎で、6名は柏地域医療連携センターで勤務する事となりました。翌年、柏プロジェクト全体の推進を所管する福祉政策課と、在宅医療を推進する地域医療推進室の役割を明確化するために組織を分けて、2021年度は11名の体制で実務に当たっております。
柏プロジェクトでの主な業務をお聞かせください。
在宅医療を推進するため、協議会や各種会議、研修会の運営、情報共有システムの管理、啓発活動等を行っています。
在宅医療・介護多職種連携協議会
医療・福祉の関連団体、職能団体、地縁団体が参加し、年3回開催しています。連携協議会の作業部会として多職種連携・情報共有システム部会、研修部会、啓発・広報部会があり、これら部会の議論をまとめながら、現状を把握し改善を図り、行政施策に反映させていくのが連携協議会の機能です。
柏市では、医師会が在宅医療に積極的なことが大きな推進力になっています。ベッドタウンでは高齢者の独居世帯、高齢者のみ世帯の増加が著しく、通院が難しくなる患者が増えることから、「患者の元へ行く医療」が必要になるというのです。在宅医療を担う医師を増やすことにも積極的です。新規の会員が医師会に入会する際には、柏プロジェクトのこれまでの活動や在宅医療について、ご説明いただいていると聞いています。
在宅医療推進のための多職種連携研修会
かかりつけ医の在宅医療参入の動機づけと、多職種連携を促進するために実施しています。二日間の座学とグループワークによる研修で、修了した各職種はそれぞれの現場で連携の推進役として影響力を発揮いただいています。
顔の見える関係会議
在宅医療の推進には医療と介護に関係する多職種の連携が必要となります。そうした連携は、日ごろから顔を合わせ、意見交換等を通じて職種を超えてお互いを理解することが大事です。そのため、柏市では、2012年度から、市内の在宅医療・介護に関わる全関係者を一堂に会した「顔の見える関係会議」を開催しています。
会議には160~200人程の大人数が参加するので、時には興味が持たれるような仕掛けを考えています。例えば、2014年に「柏地域医療連携センター」がオープンした際には、公募による名称を発表する場に「顔の見える関係会議」を設定しました。窓に掲示した名称を、会議室のカーテンを開けながら発表したところ、参加者から歓声が上がったのを憶えています。
議題とファシリテーターの存在は特に重要です。事務局(行政)だけで議題を決めるとうまくいきません。スタート当初に試したのですが、内容が硬すぎると言われてしまいました。そこで今は研修部会で多職種の意見を聞いてテーマを決めることにしています。ただし、その議題ですぐに全体会議を開催するのではありません。「顔の見える関係会議」はグループワークが主体でそれぞれのグループではファシリテーターが重要な役割を果たすため、まずはファシリテーター会議でしっかり内容を詰めた上で本番を迎えています。ファシリテーターは医師とは限りません。在宅医療・介護多職種研修会の修了者や顔の見える関係会議の経験者で、医療・介護連携を熟知している方の中からファシリテーターになっていただいています。
「顔の見える関係会議」は、医療・介護の多職種連携だけではなく、行政内部の連携促進にも効果があります。2015年の病院連絡会議において、救命救急センターの診療部長から、90歳を超える高齢者が心肺蘇生をされながら搬送される実情を目の当たりにして、本人の意向はどのように確認されているのかと問題提起がありました。2016年に「高齢者の救急搬送の現状と課題について」をテーマに開催した際、救急搬送を行っている消防局の職員に初めて会議へ参加していただき、医療、介護の多職種と共に議論していただきました。それ以降、消防局には継続的に「顔の見える関係会議」へ参加いただいておりますし、当課との連携もより強固となったところです。高齢者の意向確認に対する問題提起については、後に、意思決定支援検討ワーキンググループを発足し、議論を重ねた結果、2019年に「人生の最終段階における意思決定支援~支援者のためのガイドライン~」の発行に至っています。
情報共有システム
医師や訪問看護師、ケアマネージャー等の所属が異なる関係者が情報共有するためのシステムです。システムの構築と運用サポートは東京大学高齢社会総合研究機構と株式会社カナミックネットワークの共同研究で進められました。同社は ICT ソリューションを通じて「地域包括ケアシステム」の実現に向けたクラウドサービスに豊富な実績があり、システムの構築手法は実践的です。
当初の1年間は地域を限定して実証運用する多事業所・多職種で構成する産学官チームを編成し、共有する情報と活用事例、システムの機能と運用方法、個人情報保護の在り方などをチーム全員で検証して、利用環境の完成度を高めていきました。その後、市内全域での本格運用に切り替え、現在では、約440事業所で利用されています。当時、このような情報共有システムを利用した大規模な多事業所・多職種による連携は、全国でも事例がなく、従来は電話やFaxによる情報共有が主流であったことから苦労しましたが、医師会をはじめとする関係者の方々によるサポートによってさまざまな問題を克服することができました。今では、柏プロジェクトを支える一助となって、国や全国の自治体から注目されています。
自治体がそうした事務局を担う条件は何でしょうか?
医師会をはじめとした各職能団体の積極的な参画により、在宅医療・介護多職種連携事業を推進することができています。加えて、柏市が事務局として居を構える「柏地域医療連携センター」があります。同センターは医師会、歯科医師会、薬剤師会により建設され、柏市に寄付をしていただいた建物です。建物内の研修室や会議室を活用して、在宅医療・介護多職種連携の各事業を推進していることから、事業の象徴となっています。
こうした環境や建物は、当市にとってまさに幸運の極みですが、それが必ずしも事務局を運営するための条件ではありません。これまで医療施策全般は都道府県の管轄であり、市町村との関わりはありませんでした。しかし、在宅医療に関しては違います。サービスを利用する方はたいていの場合、医療機関への通院が難しい方で、介護保険サービスを併用しています。介護保険の保険者は市町村なので関わることが多くなるわけです。また、在宅医療サービスは、2次医療圏域よりも小さな日常生活圏域の範囲(急変時に駆け付けられる距離)で提供されるため、市町村単位の調整が適しています。
この2点から、まずは首長の判断のもと、市町村が事務局機能を担う担当部署を設置する必要があります。事務局機能を担う担当部署を市役所の中に配置し、研修会や会議も市役所の会議室を利用すれば、「柏地域医療連携センター」のような建物が無くても、充分に事務局機能を果たすことができます。在宅医療・介護多職種連携事業は、行政だけでは実施できません。医師会をはじめとした各職能団体の積極的な参画が必須です。その土壌を作るために、これまで多くの議論を重ねてきました。その中で生まれた連携は在宅医療だけでなく、災害医療や救急医療の場面、今回の新型コロナウイルス感染症対策でも生かされています。それも含めて地域の財産となることを行政が理解し、庁内関係部署が連携して動くことが重要と考えます。
地域包括ケアにおける情報通信技術の活用
インタビュー 井堀 幹夫氏(地方公共団体情報システム機構地方支援アドバイザー)
柏プロジェクトでは、地域支援事業として在宅療養者とその家族を支援するために関係者が情報通信技術を効果的に活用する環境整備に力を注いできた。2011年に着手して10年が経過したが、これまでの効果や今後に期待することについて、当初から柏プロジェクトのメンバーで情報通信技術の活用を担当していた井堀幹夫氏にインタビューした。
情報通信技術を活用した多職種連携にどのような効果がありましたか?
地域包括ケアシステムの完成度を高める上で最も大切なことは、療養者や家族を支援する関係者のチーム力で役割分担をする機能を最大化することです。チームの構成員は、保健・医療・介護・福祉分野の多職種の人たちであり、地方自治体や医療法人、社会福祉法人、営利法人など多事業者でもあります。また、医療保険や介護保険、地域福祉、健康増進など多様な法制度による事業が関連しています。そのため、組織や専門分野、法制度の枠組みを超えた効果的な連携方法の活用が鍵となります。
柏プロジェクトでは、在宅医療と在宅ケアにおける関係者の連携を深めるために地域の人たちの関係づくりとなる連携協議会や「顔の見える関係会議」、研修会などを繰り返し実施しました。その上で関係者間のコミュニケーションを活性化させ、必要な情報共有が容易となる情報共有システムを利用して、関係者の連携レベルを高めることで在宅医療と在宅ケアの質向上を図りました。また、多職種が連携することで事務的な手間が掛かってしまい本来の業務に負担が生じないようにするため業務フローのあり方を検討しました。特に重視したことは、医療職や介護職の多職種の人たちが、どのような場面で何の情報をどのような方法で共有すると効果があるのかをケーススタディにより検証して標準化することでした。そこで全国1176団体が実際に共有している情報や共有者の職種、療養者の疾患による違いなどを調査しました。その結果、在宅医療と在宅ケアの多職種連携で共有する情報は237種類が必要であると定めて、情報共有システムを利用して効果があった事例や問題の事例を洗い出し、定期的に実施する検討会で確認していきました。
情報共有システムの利用による多職種の連携効果は期待どおりでした。その一つは、チーム構成員のコミュニケーション件数が飛躍的に増えたことです。2年後には、425人の多職種の構成員(看護師24%、介護士20%、医師18%、介護支援専門員16%、理学療法士・歯科医師・薬剤師22%)が、療養者のケアに効果的な情報を共有することで連携を深めるようになりました。療養者の身体・精神的な状態や生活状況などを関係者全員が24時間どこにいても把握できるようになったため、ケアの質が向上しています。それは、療養者の健康状態の変化を迅速かつ正確に把握して、チーム構成員の相互協力、相談、助言、依頼、指示が平準化され質の高いケアに活かされるようになったからです。また、事業所によっては、多職種連携による事務処理が1カ月に約133時間削減されたことで、多職種が連携する件数を1.8倍増やすことができたところもあり、業務の効率化にも役立っています。
情報通信技術を活用した多職種連携における課題にはどのように対応していますか?
課題は、情報技術の活用スキルと互換性のないシステム間の連携に関すること、そして、個人情報保護に関することでした。活用スキルについて、利用するデバイスは、日常的に利用されているパソコン、タブレット、スマートホンを選択して利用できるようにしました。表示する情報は文字だけでなく音声や写真、動画、図表を用いて、誰もが使いやすいヒューマンインターフェイスを追求しました。システム連携については、期間を限定した実証試験を試みて互換性のないシステム間のデータ連携を行いましたが、業務処理のぺーパレス化や標準化ができないことから、実用化されていないところがあります。その要因として、技術的にはシステム連携によるデータ交換が可能であっても、制度や業務プロセス、セキュリティポリシーの違いによる調整ができないこと、システム連携により業務全体を最適化するという社会的なコンセンサスや共用できる連携基盤が整っていないことが挙げられます。
個人情報保護に関する課題については、柏プロジェクトでは当初から重視して積極的に取り組んできました。個人情報保護は、関係者全員がどのように対応しなければならないのか、その正しい知識をしっかり習得し、その上で、全員が参加して、個人情報を適切に管理する組織的・技術的・運用的な対応レベルを継続して高めることが必要です。柏プロジェクトでは、毎年、地域の関係者を対象に個人情報保護に関する事例研修を実施しています。昨年は新型コロナウイルス過であったことからeラーニング方式による研修を実施しました。
新しく試みたeラーニング方式では、その特性を活かして受講者の都合のよい時間帯に少しずつ何度も学習できる機能や習得した内容を自己診断できる機能、わからないことがあれば質問できる機能を用いて、実務に役立つスキルを高めるカリキュラムで昨年実施しました。結果、その研修には地域内の135事業所228名(14職種)の方々にご参加いただきました。研修時に実施した効果測定では、個人情報保護の実用的な対応について理解度を高める効果が確認できました。
地域には、個人情報保護に留意しなければならない地域包括ケアに関係する事業所が、433箇所あります。そのうちの135事業所の参加ですので、参加率約31%と少なかったのです。2014年に開始した対面方式による集合研修の事業所の参加率は約84%でしたので、比較するとかなり減少してしまいました。一方でeラーニング方式の参加人数が228名で過去最高となりました。今年度は、研修内容をさらに充実し、関係者への周知を徹底させて、もっと増えるように計画しています。
これからの地域包括ケアシステムの進展にどのような期待をしていますか?
地域包括ケアシステムは、これまで保健・医療・介護・福祉分野に従事する事業者の連携を充実させる業務に情報通信技術を活用していましたが、これからは、個人の健康生活に活用される情報通信技術の普及により本人や家族、住民組織、NPO法人等の関係者の連携や活動の充実が期待できます。生活における情報通信技術の活用は、データヘルス改革が進展することになり、個人の健康状態や健康行動、健康リスク管理に必要なデータの収集や活用を充実させることができます。
2年前から認定NPO法人健康都市活動支援機構では、人々の健康を支援する地域データヘルス事業に取り組んでいます。全国各地域の地域包括ケアシステムの優れた取り組みが普及し、地域課題の解消に役立つ支援をすることが事業の計画です。今年度中には、第一弾として、地域住民が利用する健康手帳サービスと地方自治体の保健師等の職員が利用する健康・介護台帳サービスをネットワークに接続して、両者が連動して住民の健康を支援する「G to C」の新しい健康サービスを提供します。