両園を擁する自治体として、瀬戸内市は将来構想の実現に深くかかわっている。武久市長に今までの経緯や課題、今後についてお話しを聞いた。
「ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会・岡山」(すすめる会)の会長に就任した経緯や瀬戸内市との関係についてお聞かせください。
2009年に「ハンセン病問題基本法」が施行し、ハンセン病療養所の将来構想が動き始めた頃、両園の自治会長が市役所に見えました。用件は、私の会長就任と市役所内での事務局設置でした。
「すすめる会」は、すでに両園自治会やハンセン病国賠訴訟瀬戸内弁護団等により発足していたのですが、会長と事務局はまだでした。同療養所については、市長就任時に未来志向で取組むべき重要テーマに掲げていたので、「何かお役に立てれば」と引受けました。厳しいのは財源でしたが、そこはお互いに応分の費用負担をしながら協力することで折合いました。また、その後になってNPO法人ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会を設立した際にも、同様に市と入所者自治会が負担しています。そして、活動費については、ふるさと納税で集めた資金を市の補助金として拠出するとともに、同NPO法人の会費収入などを充てています。
過去を辿れば、市が「無らい県運動」に加担したのは事実です。反省の念を持ちながらも、意義のある活動を協働することで一致しています。市にとっては地域活性化に、両園の入所者にとっては名誉回復につながるという観点です。
そうした観点を市民と共有する取組みはどうされているのでしょうか?
市民の感情は複雑です。特に地元の皆さんは、差別の連鎖に巻き込まれたという被害者意識がある。親がハンセン病療養所に勤めていることが理由でお子さんの縁談が破談になったことも聞きました。戦争の経験者には、自分たちが飲まず食わずで苦労した時に療養所での暮らしは困っていなかったと誤って理解している人もいます。つまり、隔離政策が差別の連鎖を生み、地域社会の分断をもたらしたのです。
世界遺産登録の運動は、こうした状況を改善するために有効だと考えました。私たちはタウンミーティングなどを行い、この運動の意義について説明しました。会議では厳しい意見が飛び交ったのも事実ですが、この活動が地域の名誉回復にもつながることを訴えていきました。今では、同NPO法人の活動に対しての理解が深まり、地域の代表が理事に加わる等、協働する体制が整いつつあります。
この運動が実を結ぶには時間がかかるでしょうが、その過程で、「自分たちも大変だったけど貴方たちも大変だったね」というような人間関係が双方で築ければよいと思っています。
観光では将来構想をどのように生かすお考えでしょうか?
当市での観光では、長島の歴史や生活を知り、体験できる要素を取り入れることが重要です。コンテンツの価値は長島単独ではなく、地域全体として捉えることで高まります。島に隔離される際、患者さんたちはどのような気持ちで島に送られ、本土からはどのような気持ちで見送ったのでしょうか。隔離政策が生んだ対立、地域開放への動き、本土と橋で結ばれたことによる交流促進等、地域社会の歴史とともに長島があるのです。広い視野で当市の長島の歴史を体験していただくことが、地域全体の名誉回復につながると考えます。
もっとも、何をもって名誉回復とするのかは、いろいろな考えがあることでしょう。私としては、過去と正しく向き合い、国が誤った方向に進んだことを真正面から捉え直し、齟齬がもたらした過ちや差別、偏見に対して真正面から立ち向かっていく状態自体が名誉の回復につながると思っています。
最後に国との関係についてお聞かせください。
隔離政策の責任は国にありますが、我々にもあります。私たちは国に対していろいろな要望を行ってきた結果、2016年2月に邑久光明園敷地内に特別養護老人ホームの誘致を実現しました。しかし、人権問題や世界遺産登録の運動に対して、国に旗振り役を期待するのは無理があり、先頭に立つのは私たちだと思っています。地域の社会構造を改善するのは自治体の役割であり、国ではない。「すすめる会」の会長ならびに市長として、偏見差別の解消や名誉回復をめざす将来構想の実現に大きなやりがいと価値を見出しています。
◎プロフィール
武久 顕也(たけひさ あきなり)
1968年瀬戸内市生まれ。
1996年から4年間邑久町議会議員を務める。
2001年、英国バーミンガム大学公共政策大学院に留学。
バーミンガム市業績向上評価チームに所属。
帰国後は大手監査法人で自治体向けのコンサルティング
を手掛ける。
2009年瀬戸内市長に就任。
現在3期目。