東日本大震災以降悪化した県民の健康状態を改善するために、福島県では2017年度から県、団体、民間企業が連携し、中小事業所の健康づくりの応援を開始。この事業の注目すべき成果が2018年度日本公衆衛生学会総会のシンポジウム「福島県『元気で働く職場』応援事業は地域社会を変える! ~健康経営企業の評価を通じて~」で発表されました。
健康都市活動支援機構レポート No.14
2018年10月25日に郡山市で開催されたシンポジウムでは、この事業を推進した福島県、事業に参加した事業所(須賀川瓦斯㈱)、健康づくりを支援した民間企業(花王㈱)、事業の評価を行った東京大学政策ビジョン研究センターから、代表者が登壇しました。
(以下は、4者の発表をインタビュー形式に再構成したものです。)
【大震災後の健康指標の悪化を踏まえ】
~事業の背景と狙い~
事業を推進した福島県には、どのような狙いがあったのでしょうか。
福島県 前田 香氏(保健福祉部健康増進課)
福島県では、東日本大震災、福島第一原発事故を契機に、県民の健康指標が悪化しました。たとえば、生活習慣病のもととなるメタボリックシンドローム該当者の割合が、全国では横ばいで推移しているのに、福島県では震災後に増加しています。2015年度の年齢調整死亡率でも、急性心筋梗塞が男女とも47都道府県中ワースト1位、脳梗塞は男性が同7位、女性が同5位となっています。
このため県では健康長寿県をめざし、食、運動、社会参加を3本柱とする健康づくりを推進。2017年度からは、「健康経営」をキーワードに、職域を通じた健康づくり事業を開始しました。それが中小の事業所を支援する「『元気で働く職場』応援事業」です。7つのモデル事業所を選定し、健康づくり支援を行いました。
【経営損失を防ぎ生産性を高める「健康経営」】
~健康経営の役割~
事業のキーワードは「健康経営」です。この考え方こそ、自治体が中小事業所などの職域を健康づくりの当事者として巻き込むうえで、重要な役割を果たしたようです。
東京大学政策ビジョン研究センター 村松賢治氏(データヘルス研究ユニット)
「健康経営」とは、従業員の健康を企業の経営資産と考えて、職域での健康づくりを積極的かつ戦略的に推進しようという考え方です。米国の先行研究によれば、従業員の健康悪化に伴って労働生産性の低下(アブセンティーイズム※とプレゼンティーイズム※)が生じ、経営的な損失になっているというのです。この損失額は病気による医療費の発生をはるかに上回っていると言われています。
※アブセンティーイズム:健康悪化で生じた欠勤による生産性損失。
※プレゼンティーイズム:出勤はしているが、健康悪化でパフォーマンスが低下していることによる生産性損失。
日本の大企業を対象とした調査でも、プレゼンティーイズムによる損失は大きく、そのリスク要因は生活習慣と心身の健康状態であることが報告されています。
そこで、福島県「『元気で働く職場』応援事業」では、まず、参加事業所の従業員の健康リスクとその労働生産性への影響について調査しました。調査対象はこの事業にエントリーした7事業所内の従業員318名(1事業所あたり平均45名)。業種は幅広く、デスクワークから現場作業までです。アンケート調査(無記名式、有効回答が289名。平均年齢47歳、女性比率19%)と、インタビュー調査(各事業所2名を対象に14名の有効回答)を行いました。7事業所とも、仕事への熱意や一体感の高い企業でしたが、さらに詳しく調査した結果、「健康リスクの高い従業員ほど、労働生産性が低下している」、「プレゼンティーイズムの損失コストはアブセンティーイズムと比較して18倍も大きい」、「いきいきと高い熱意で働く従業員ほど、プレゼンティーイズムによる損失が少ない」ということが確認できました。
【中小事業所の健康経営を推進する支援プログラムとは?】
~支援プログラムの特色~
職域での健康づくりにより従業員の健康リスクを小さくできれば、労働生産性を高めることができるはず……。そうした仮説のもと、「『元気で働く職場』応援事業」ではどのような具体的支援が行われたのでしょうか。
福島県 前田 香氏(前出)
モデル事業所に対して、県の保健師、管理栄養士による巡回訪問、職場環境改善に関する助言・支援等を行いました。
さらに、健康づくりのノウハウをもつ民間企業(花王等)から提案いただいた「企業の健康づくり支援プログラム」をモデル事業所で実践(県が1事業100万円を上限に補助)。こうした中で、よい変化が生まれています。
花王株式会社 森本聡尚氏(ヒューマンヘルスケア事業企画部 マネジャー)
花王では、「健康とくらし」に関わる研究を長年続けてきました。その成果を自社社員の健康づくりに活かし、近年では健康経営に関する様々な評価(健康経営優良法人等)をいただきました。そこで、このノウハウとソリューションを広く社会にも提供しています。
その1つが「内臓脂肪」に着目した健康づくりです。X線を使わず簡単に内臓脂肪を測定できる技術(大阪大学と共同研究)を利用。内臓脂肪を測って、くらしを通じて減らす、科学的な健康づくりプログラムです。
2016年に、福島県様から「震災後にメタボリックシンドロームが増加している」という実情を伺い、まず福島県民の内臓脂肪の蓄積状況を調べました。内臓脂肪の過度の蓄積はメタボリックシンドロームの要件であり、福島県に多い心筋梗塞や脳梗塞にもつながる健康リスクだからです。
2017年1月から2018年10月までの間、県内の流通施設や県庁などで、計21回、2,008名を測定しました。その結果、福島県では各世代で内臓脂肪肥満※が多く見られ、男性では20~30代でも3割以上、40代以上では5割を超えることがわかりました。
※内臓脂肪の面積が100cm2を超えると「内臓脂肪肥満」。
そこで今回、「内臓脂肪を測って減らすスマート和食®プログラム」をモデル事業所の1つである須賀川瓦斯の従業員のみなさんに提供させていただくことになりました。
10週間のプログラムは、図のとおりです。
- はじめに内臓脂肪を測定し、食生活改善の必要性を理解する
- セミナーで内臓脂肪をためない健康的な食事法「スマート和食」を学ぶ
- 週1回の食生活セルフチェック
- 平日昼食に「スマート和食弁当」を購入利用
- 5週目(中間)、10週目(終了時)に内臓脂肪を測定し、変化を確認する
「スマート和食」は、「量」ばかりでなく「時間」や「質」を重視した、内臓脂肪をためにくくする食事法。極端に食事の「量」を減らさないので、継続しやすいのが特長です。セミナーやセルフチェックによってスマート和食を学んでもらいながら、平日の昼食には「スマート和食弁当」を食べてもらいます。この弁当は、スマート和食の食事の「質」を実現した、食べる教材。地元の弁当事業者に技術をライセンスし、日替わりで製造販売していただきました。
【「取り組んでよかった!」――その成果とは?】
~参加した職場の取り組み~
モデル事業所となった職場では、プログラムをどのように受け入れ、活用したのでしょうか。
須賀川瓦斯株式会社 橋本直子氏(代表取締役社長)
須賀川瓦斯は「社会への奉仕」を社是とする地域の総合エネルギー企業で、地元出身のスタッフ230名が活躍しています。毎年実施する健診で、高血圧者が他企業より多いとの指摘を受け、また高齢者の割合も増加しているので、県からご紹介をいただき、この事業に参加させていただきました。
「内臓脂肪を測って減らすスマート和食プログラム」は本社の約50名ほどを対象にしました。1~3月の間に3回(初回、中間、最終)の内臓脂肪測定。その間、昼は「スマート和食」弁当を食べてもらいました。弁当代500円のうち、300円分を会社が負担しました。
同時に、本社以外の事業所の社員も含めた150名程に歩数計を配布。各事業所には血圧計を設置し、毎日記録をつけてもらいました。「一部の社員の取り組み」とはしたくなかったからです。
プログラム導入にあたり、楽しく取り組んでもらえる仕組みを工夫しました。内臓脂肪、血圧、歩数の3部門で表彰制度を設け、東京ディズニーランドペアチケット等、景品も充実させました。
結果は、内臓脂肪では全体の8割近い人が低減。血圧の要所見者数は半減、血圧数値が20以上減った人も出ました。
「取り組んでよかった!」――取り組みを振り返っての率直な感想です。従業員の健康意識が高まっただけでなく、健康という全員に共通のテーマに取り組む中で、職場でのコミュニケーションが増え、円滑になりました。特に若手が健康について考えるようになったのが大きな変化でした。経営としても健康管理を考えるよい機会となりました。
この取り組みがメディアで報道され、お客様からのお問い合わせもいただき、「地域を牽引する企業」としての自覚や、社会貢献の意識が社員にも浸透しました。採用の際の企業アピールにもなっています。
苦労したことや課題もいろいろありますが、社員が元気になれば企業が元気になり、企業が元気になれば雇用が増え、地域の活性化にもつながります。これからも外部の協力をいただきながら、継続していきたいと思います。
花王株式会社 森本聡尚氏(前出)
健康づくりを成功させるには、受け入れていただく職場の環境づくりが何よりも重要だと実感しました。できるだけよい成果につなげるために、サイエンスに基づいたプログラムで支援させていただきました。
その結果、参加した51名の8割近くが内臓脂肪が減りました。平均で約10 cm2の減少です。内臓脂肪肥満者の率も34%から26%に、とたいへんよい成果が得られました。
本プログラムでは、(1)測定による動機付け (2)無理のない生活改善法(スマート和食セミナー) (3)具体的な「食べる」実践支援(スマート和食弁当)――以上3点を一体化して提供しました。学ぶだけでなく、実行していただくことで、優良な成果が得られたと考えられます。
【生産性向上だけでなく「地域の活性化」も期待】
~今後に向けて~~今後に向けて~
福島県で始まった取り組みの成果から、今後に向けて期待できることは何でしょうか。
東京大学政策ビジョン研究センター 村松賢治氏(前出)
7つのモデル事業所に対して行った調査からは、「『元気で働く職場』応援事業」のような健康経営の取り組みによって、従業員の健康意識に加え、職場の一体感も向上することがわかりました。「従業員の健康」と、「仕事のやりがい、職場の一体感」の両面からのアプローチを通じて、労働生産性の喪失はより効果的に抑制できます。
また、スマート和食の取り組みでは、花王によるサイエンスに裏づけられたソリューションを、地域の食の事業者様へライセンス提供するという共創の手法が、産業創出や地域食材の利用による「地域の活性化」に役立つと期待されます。
東京大学としても、効果検証の立場から地域の活性化を支えていきたいと考えています。
福島県 前田 香氏(前出)
2017年度の事業で一定の成果が得られましたので、2018年度は、モデル事業所をさらに拡大(計13事業所)するとともに、「健康経営優良事業所」の認定・表彰制度をたちあげ、全国に誇れる健康長寿県をめざします。
以上、各発言を通じて、中小事業所でも健康経営を導入し、適切な支援プログラムを提供すれば、確かな成果が生まれるだけでなく、地域の活性化にも寄与することがわかりました。
「ふくしま健民会議」座長を務める古井祐司氏(東京大学政策ビジョン研究センター データヘルス研究ユニット 特任教授)は「この事業を通じて、地元企業の皆様が元気になり、健康になれば、経済が活性化し、さまざまな効果が多面的に生まれます」と、今後にさらなる期待を寄せていました。
※「健康経営」は、 NPO 法人健康経営研究会の登録商標です。
※「スマート和食」は、花王株式会社の登録商標です